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次の教室へ 10 [バレエ個人史]

私は、2つの教室の掛け持ちをしながら、暫く過ぎた。
その間に、発表会にも何回か出た。
もちろんメインの教室での発表会だ。

とはいえ、舞台よりも、普段のレッスンの方が数倍好きだった。
それに、先生の指導が上手く、まわりをどっと沸かせる話術に長けていて
すごく面白かった。
そこに来ている生徒も、普通の主婦から、ダンスの先生、教師、と
いろんな人が集まっていて、ティータイムも、たまらなく楽しかった。

もちろん、教室を掛け持ちすることで、それまでよりも、ちょっとした充実感はあった。
だが、もっとレッスンを増やしたい気持ちは常にあった。
バレエが好きになれば、なる程、もっともっと稽古がしたい、と
自分が主婦であることも忘れる程に、突っ込んでいきたい自分がいた。

ある日のこと、ネットサーフィンをしていた時に、目にとまったバレエ教室。
家から近くじゃないが、交通の便がいい。
しかもそこは、大人のレッスン回数が多くて、月謝もお手頃。
なんだか心惹かれて、早速、無料体験を申し込んだ。

そこのレッスンは、今までのところと、また違っていた。
ことさら基本を重視し
同じパやアンシェヌマンを、左右2回ずつやる。

なんだか長い‥

そう感じた、最初の稽古だったが
難しいパは、やらなくとも、レッスンを補う為に
時間のある時に来るには、いいところかもしれない、と思い
とりあえずは、入会することにした。

が、これが甘かった‥

もの足りない~もっと 9 [バレエ個人史]

そんな感じで暫く経つと、
段々と週1回のレッスンでは、もの足りなくなってきた。
週1回レッスンが、何かの用事で潰れてしまうと
2週間バレエが出来なくなってしまうのが、耐えられない。

「休まず絶対に行く!!」 と、固く決意してたので
実際に休んだことは、そんなになかったのだが
それでも、チラシに載っていた別のバレエ教室で
レッスン日が重ならない、遠くないところを見つけレッスンを増やすことにした。
もっとバレエがやりたい!! ただ、それだけの為に。

そして、レッスン代が安い♪と言うのが、決め手だったと思う(笑)

さて、あらたに通い始めたバレエ教室。
そこでは、毎回ポワントを履いていた。
そこはバレエ経験者が多く、先生もそのことを考慮しての
レッスンスケジュールだったようだ。
バーが終わると、ポワントを履いてのセンターレッスン。

何故か、ここでも私は、
「ポワント履いていいわよ。」 と、すぐさま許可が下りた。
この時には、もう抵抗はなかったが。
毎回ポワントを履いてのセンターレッスン、勿論ピルエットもある。
だが、抵抗は、なかったものの、まだまだトゥシューズに慣れていない。
ただ歩くだけなのに足がグラつく、といったありさまだった。

メインの教室でのポワントレッスンが、2週に1回。
ある程度センターをこなしてから、残り15分~20分くらいで
エシャペやピケをするくらいのレッスンだったから
ポワントを履いたまま踊るということに、全く慣れてない。

最初のレッスンは、とにかくキツかった。。。
ピルエットなんて出来るワケがない。
ルティレして立つのが精一杯だ。
ポワントでのグランパドシャの足の重いこと。。。
帰り道は、もうヘトヘトでグッタリだった。。。

初めてのレッスンで緊張してたせいか、疲れが余計に増していた。


タグ:バレエ

初めての発表会~大人クラス 8 [バレエ個人史]

初めてのバレエの発表会は楽しかった。
子供とジュニアメインなので、大人はリハーサルも前日と当日の1回きり
サラ~と流しておしまい、ダンスの時の発表会とは大分違ったが
仲間と楽屋で賑やかに過ごした時間が
舞台上で踊っていた時よりも、何より楽しかった。

ポワントは嫌いで、ピルエットもドゥミ、
バレエメイクの大胆さに驚き、綺麗な衣装を着てワクワクし、
買わなかったけど、ポーズをつけて個人写真まで撮って、
舞台裏のバレリーナ達に混じって
あたかも、自分もバレリーナになった気分を味わい、
私にとっては、まさに夢の中の出来事だった。

今まで、私にとって、バレエは夢の中の世界のもの
現実に自分がやるとは、思いもしなかったこと。
意識の上にさえでてこない、別世界のものだったからだ。

発表会の踊りそのものは、キャラクターものの簡単な振り付けで、
先生の要求は、リズムが合い、列さえ揃っていればいいだけのこと。
週1回のレッスン、しかも私のような超初心者のいるクラス
そんなもんだろう。

だが、こうして初めての舞台を経験した私は、
その後も、ストイックなまでに、バレエにのめり込んでいった。
バレエ用語は、本でいつも確認して
わからなかった言葉も次々に理解していった
レッスン後は、ノートをつけた。
下手なイラスト付きで(笑)‥

その頃の私は、週1回のレッスンが、待ち遠しくてたまらず
残りの6日間は、ひたすらストレッチに励む日々。
運動オンチの私は、ダンスを始めるまで、体が非常に固く
これはマズイと、ストレッチをやってたのだが
バレエに必要な柔軟性は、ジャズダンス以上だったので
寝る前には、じっくり1時間かけてストレッチした。
それは、その後、何年も続いた。

そして、レッスンビデオも、何本も購入した。
出来もしないくせに、高度なパが収録されたものまで買いあさった(笑)
頭の中は、もうバレエのことばっかり、すっかりハマってしまったのだ。

舞台‥ 本当は大変なもの 7 [バレエ個人史]

その教室では、毎回のレッスン後に、
発表会の振りうつしと、練習があった。
そして、それは発表会間近まで続いた。

以前のダンスの時は、1年も前から準備して
踊り込んで発表会を迎えていたのが、
今回は、3ヵ月で仕上げ、しかも週1回のレッスン。
皆、なんとか振りを覚えて、
列を揃えるのがやっと、という段階でもう舞台だ。

私は、初心者で、しかも初ポワントの舞台でもあり、
随分と焦っていた。
だが、そこのお教室は、他でもそうだと思うが、ジュニアがメイン。
大人は、間違えなければいい程度のものだ。
みんなで楽しくやりましょうの要素がほぼ占める。

2部ある発表会のうち、1部は各クラスの発表。
大人は、その1部に出た。
そして、2部こそが、そこの教室が最も力を入れていて
選抜メンバーによる演目が続く、時には、全幕ものありの舞台
中級以上のジュニアクラスのみが出演している。

ここに出る人は、大変だ。
およそ半年前から、毎日曜日は丸1日、
お稽古場で、リハーサルがある。
先生の要求も高く、とても厳しい。
舞台リハなどでは、怒鳴られることもあるとか。

更には、発表会は、いつもお盆の後となっているから、
もちろん日焼けは禁止。
発表会前1週間は、発表会で使うホールを借り切って
毎日朝から晩まで、舞台稽古と続く。
発表会当日も、本番さながらの、力の入ったリハーサルがあり、
いざ幕が上がる時には、人によっては、
もう、ボロボロになってたりするとかだ。

また、その舞台の裏方を支える、
役員のお母さん達の労苦も、大変なもので。
舞台を借り切った1週間の間は、出演者よりも朝早くから、
リハの準備。
ホールと、お稽古場との、雑務での行き来はもちろん、
先生やリハする人の為の世話が、
夜遅くまで続く。

終わるのも、先生や出演者達の後、いちばん最後。
それが舞台の幕が上がるまで、1週間続くのだ。
多忙をきわめる中、「家庭不和になりそうだわ。。。」と、
嘆く親もいた。
子供の為とはいえ、なんとも大変なこと。

でも、これだけの準備をするせいか、
その舞台は、やはり素晴らしいものがある。
長年バレエをやっていた、
元ダンスサークルの辛口コメントをする友人は
「これだけのものをやったら、お金をとれるわ。」
と、言っていた。


ポワント‥ もう逃げられない 6 [バレエ個人史]

さて、何かと避けていた、ポワントレッスンも
ついに、逃げ切れなくなってしまう時がきた。
それは、その年の発表会の申込書が配られ
大人クラスが、出ることになったからだ。

例年なら、大人クラスは発表会に出ていない。
ところが、その年は何十周年記念だとかで、
是非、大人クラスも参加してほしい、
と先生からの要請があった。
とはいえ、参加する、しないは、自由だったが。

一緒に出ましょうよ♪

の誘いに、思わず乗ってしまった私。
後のことも考えずに‥

演目は、1曲だけだった。
先生の振り付けによるもの。
難しいパは、なかったと思うが、
何故か、ピルエットは入ってた。

そして、教室の誰もが、ポワントで参加するという。
私は焦った。 どうしたらいいんだろう?
レッスンメイトに、こっそり相談すると、
「ポワントでやりましょ~~よ♪」
と、言われる始末。
嫌とも答えられない、気弱な私がいた。

更には、追い討ちをかけるような、先生の、ひと言が‥あった。

「せっかくの舞台だから、みなさんポワントで踊りましょ~~
 出来ないところは、ドゥミでやってもいいんですよ~~
 みなさん、トゥシューズ履きたいんでしょう~~       」 と。

「いや‥ そんなこと思ってないし。。。」 と心の中で否定しまくる私。

皆は、大喜びだが
私は嬉しくない。。。
トゥシューズ履きたくない。。。 と、どんよりしていた。

だが、発表会申込みは、とっくに済んでるどころか、
振り付けも、ほぼ完成してた。
その頃の私は、できないとか、バレエシューズで出たいとか
言い出す勇気もなかったから、
ただ、困って焦ってるだけという最悪の心境だった。

そして、さんざん悩んだあげく、ついに私は覚悟を決めた。
「え~~い、こうなったら、やるしかないっ!!」 と。
開き直ったというか、
半ば、やけっぱちだ。

そして、腹が決まると即座に、
「ポワントレッスン」用のビデオを購入し、
毎日ポワントの研究をしだした。
それまでの逃げ腰の私はどこへやら‥
発表会まで、必死で、
ポワントのレッスンに励む私がいた。


いよいよバレエへ 5 [バレエ個人史]

先生と仲間からの冷ややかな視線。
嫌な思いをしてまでダンスを続ける情熱は、
私には、もうなかった。
バレエの方が、面白くなっていたという理由もある。

ここから、私はバレエに向かっていったのだった。

「バレエをやっていたことが、あるんですか?」
と、バレエ教室の生徒のひとりに聞かれた言葉に、気を良くした私。

はじめに入った教室のレッスンは、
分からない、出来ないことだらけだったが、実に楽しいものだった。

先生も生徒も、皆ひとあたりの良い人ばかり。
先生は、指導時、独自の表現方法を使い、
面白さに、教室中どっと笑いが沸く。

非常に、和気あいあいとした雰囲気。
ここでは(ダンスの時と違って)、誰もが私を
快く、受け入れてくれた。

ダンスをやっていようが、
他のところでのバレエ経験者だろうが、
そんなこと関係なく、誰でも気持ちよく、受け入れてくれるところだった。
毎回のレッスン後のティータイムになると、
先生と生徒が交じっておしゃべりし、これが実に楽しい。

また、手本となる助手の先生が、、
一生徒としてレッスンを受けていたのも、魅力のひとつで、
その美しい動きに見とれ、溜息をもらしていた。

いつも、こんな具合で、
私は、次のレッスンが待ち遠しくてならなかった。

さて、そこで受けはじめて1ヵ月後のこと、
先生から、早々とポワント許可が下りた。

えっ、!! トゥシューズ‥

良かったわね~~、と助手の先生からの言葉に
素直に喜べない私がいた。

当時、バレエは好きだったが、
トゥシューズで踊りたいなんて、微塵も思ってなかったのだ。

バレエシューズで踊れるだけでいいのに‥

なんだか気が重い。

バレエをはじめる人には、憧れのポワントも、
私には、嬉しくないものだった。

たぶん‥
当時の教室の生徒が、全員がトゥシューズを履いていて、

ポワントレッスンの時に、私だけ、ひとりぽつねんと、
バレエシューズで後ろからついていく、
という感じを見ていた先生が、

気を使ってくれたのかもしれない。
そうでもなきゃ早過ぎると思う。
まだバレエを始めて1ヵ月の超初心者の私に、ポワントなんて無謀だ。
私は、全然気にしてなかったのに。

先生は、「立つことぐらいは、出来るでしょう。」
と言われ、
確かにトゥシューズのポワントで、バーにつかまらずに、
フロアーで、すんなりと簡単に立てた。

たまたま、私の足は甲が高くて、柔らかかったということと、
ダンスで、ある程度鍛えられていたからなのかと思ったが。

でも嫌だ、ポワントはやりたくない。

と、2回に1度ある、ポワントレッスンの時は、
何かと理由をつけて、逃げ回った。


妬み? 4 [バレエ個人史]

陰口を言わて、
先生からも、何故か敵視されても、
ダンスが好きという気持ちが上回ってた私。
辞めようとは思わなかった。

直後、翌年の発表会の日程が決定し、
配役の発表がされた。

そして、オープニングでの、私のポジションは、
一番後ろ‥ だった。

私は、これまで
後列だったことは、ない。
踊りの最中に後ろにまわることがあっても、
また前列に戻って来るような振り付けだったから。
上手組、下手組に分けられた時も、上手組。

でも今回は、どう見ても違う。
冷静に見ても、あんまり上手くない人達が、
私より前の列になっていた。
私は最後列の真ん中、いちばん目立たないところだった。

よく見てみると、まるで先生のお気に入りを
前から順番に並べたような配列に驚いた。

やっぱりそうなんだ。
私は確信する。
ここでは、ダンスの力量も関係ないんだ、
と思い知らされ、かなりショックを受けてしまった。

でも仕方ない、私はここで頑張ってみようと
一時は、気を取り直したのだった。
それは、やっぱり、その教室のダンスが好きだったから。

さて、発表会の振り付けが進む中、ある演目で、
ソロ4名を、先生が募集した時のこと。

「誰でもいいわよ、希望者いない?」 と、
にこやかに尋ねる先生。
短いソロなので、誰がやってもかまわないとのことだった。
誰も名乗り出ない。

「やりたいです。」 私は手を挙げた。

その時、一瞬の先生の表情、
私は見逃さなかった。
まるで、「えっ、なんであなたなの?」
と、意表をつかれた感じの顔。

教室全体の空気も、ガラっと凍りつくように変わった。
その直後、あきらかに、私に対するライバル心と敵意を込めて
希望者3名が名乗り出てきた。
先生と仲間にとって、私が希望することは
予想外だったのか?

この出来事以来、なんだか私は、
このダンス教室が嫌になってしまった。

主要な演目や前列は、お気に入り数名のもの。
誰もが、先生に取り入ろうと躍起になっている。
褒め言葉に酔いしれる先生。

バレエっぽいことをやるのに、
きちんとしたクラッシックバレエを敵視し、
私が、バレエをやってることが気に入らない人達。

私は考えてみた。
バレエ初心者の私を、なんでそんなに意識するのか。
当然ダンスの上手さは、
先生と比べものにならないのは、言うまでもない。

もしかしたら、先生は恐れてたのか?
バレエの基本を感じながらも、
クラッシック出身でなかったから、
クラッシックの知識、テクニックが、あまりない自信のなさを
バレエを敵視し、私を攻撃することで、
自分を防御していたのか?

他の者も、ほとんどの者が、
私が、仲良くなろうと試みても、壁を作って、
仲間に入れてもらえない雰囲気。

生徒の1人に、とても上手な人がいた。
新体操出身者で、バレエは少しかじっただけ、
という風に見えたが、彼女のダンスは魅力的だった。
私は、彼女と仲良くなりたかった。
だが、その彼女にも、境界線を引かれてしまった

先に入っていたママダンスサークルの仲間のひとりは、
私を、敵視しつづけていたし、
私は、その教室の中で、完全に浮いていた。

そんなことで、悩んでいた私に、

「辞めちゃえば。」 

と、彼女(元サークルのバレエ経験者)のひと言が
私を決断させることと、なったのだ。


敵意を向けられる 3 [バレエ個人史]

大元のダンス教室に行くことにした私。

その入会の前に、
以前から、その教室に通っていた、サークルの
仲間のひとりに言われた。

「ここは厳しいよ。」

何故か、その言葉には棘があり、
私には、「あなたは来るな。」 というニュアンスが、
含まれているように感じた。

その時は、
何故、彼女は私に敵意を抱くのか?
さっぱり理解できなかった。

それでも私は、ダンスを好きな気持ちの方が上回ってたし、
本部の教室でダンスを本格的にやれるといった嬉しさは、
彼女の敵意を打ち消すのに十分だったし
何にもまして、新たなダンス教室に
期待を膨らませていた。
やはり、ママダンスサークルのほうは、初心者向けで
しかも、子育て中のママ中心の娯楽的要素の大きいところだったから。

そして、実際に入会し、本部のダンス教室に通い始めると、
実にライバル意識、仲間意識の強いところだということに驚いた。

レッスンには、バレエらしきものも、組み込まれていて、
プリエやタンデュをはじめ、
ピルエット、ピケターン、
さらには、アラベスクを含む、ちょっとしたアダージオまであった。

その頃の私は
既に、バレエと平行してレッスンを受けてたので、
当然のごとく、そういった時は、
バレエを意識してやっていた。

体の柔軟性も、暫く前から、
ストレッチに力を入れていたので、
その教室の仲間の中では、柔らかいほうだった。

だが、リンバリングなどでは、
私の方が綺麗で、体の柔らかさが際立っていっても、
私の方は全く無視で、他の仲間の方への、
先生を含め、仲間全体からの賞賛の声。

さらには、ヒソヒソと、陰口を言っている。
後で聞いた話だと、
「あの人、バレエやってるんでしょ。」 と
悪意を含んだ噂になっていた模様。

先生の注意も、「バレエとは違うのよ」 が後に必ずつく。
ピケターンなどの、バレエのパと同じ練習なのに
そう言われる。

だったら、どうやるの?
全く同じ内容で、なにが違うんだ?
私は混乱していた。


サークル内の溝 2 [バレエ個人史]

さて、話は、その初心者ママサークル戻る。
そのダンスサークルの仲間が、仲良く活動できたのは、
最初の1年間だった。

サークルには、大元の教室があり、
発表会では、毎回合同でやっていた。
はじめの1年は、ママサークルの仲間のみの、
ダンスの演目があり、それを踊った。

2年目の時、大元の教室の生徒と
混ざって踊りましょうとの、先生の意向により
いくつかの演目に、ママサークルの仲間は、
分けられた。

だが、その分け方が、明らかに、上手組、下手組となっていて、
下手組に振り分けられた人達からは、
不満の声が出た
そりゃ、そうだ。
そこからだ、サークルの雰囲気が、
おかしくなりはじめたのは。

そして3年目、今度はその大元の教室に
通いはじめる者が、出てきた。

そのこと自体は、特に問題はなかったのだが
そこへ通いはじめた者達の意識が
違ってきたのが問題だった。

仲間と壁を作るように、習ってきたことを、
ヒソヒソとサークルでやりはじめたたことが
仲間の反感を買うことになってしまった。

そんな他を相容れない雰囲気は

仲間の気分を害するには十分だった。

ママダンスサークル結成4年目にして、
辞める者も出てきて、人数が減ってきた。

そうなると、サークルの維持が難しくなる。
当然、会費も減る。
先生への支払いが難しくなるといった具合。

仕方なく、サークルは、解散。
その後もダンスを続けたい人は、
少し遠くなるけれど、
大元の教室へ行く、ということとなった。

その頃、ダンスに夢中だった私は、
先に通っていた者達に続いて、
大元の教室へ、入会することにしたのは言うまでもなかった。

                         続く 


きっかけはダンス 1 [バレエ個人史]

私が、バレエをはじめるきっかけとなったのは、
ジャズダンスだった。

赤ん坊だった子供が、大きくなってきて、
少しづつ、手がかからなくなってきた頃だ。

地元のママサークルに、
ジャズダンスが、できたのを知った。

もともと、ダンスは学生時代にやってたし、
不本意な形で、ダンスを続けられなくなった私は、

また踊りたい‥ という思いが、いつもあったので、
ジャンルは違えど、
迷わず、入会を決めた。

初心者の多かった、ママダンスサークル。
ジャンルが違うとはいえ、もともとダンス経験のある私。
下手なわけがない、とタカをくくっていただが、

撮ってもらったビデオを見て、愕然。
酷く下手。。。

それからの私は、練習のない日でも、
家で、猛然と練習した。
どう踊ったら上手く見えるか、考えながら。

何ヶ月か後、先生からは、
「あなたが、いちばん上手くなった。
 正直、ここまで上手くなるとは、思わなかった。」
と、誉められたほど。

私は夢中だった。
踊りたいのに、踊れないといった、
何年も押し込めてきた気持ちが、
いっきに溢れ出てきたような感じだったんだと思う。

たかが、子持ちの初心者ママサークル。
でも、私にはそこしかなかった。

そして私は、ここでバレエを知ることになる。
ひとりのバレエ経験者が、ダンス仲間にいた。

彼女に影響された私は、
ダンスがもっと上手くなる為に、
バレエが重要、と考えた。

実際、ダンスの練習時に、プリエなどをやってたし、
バレエ経験者である彼女は、
他の仲間とは、動きにあきらかな違いがあった。

そう思った私は、
すぐに近くのバレエ教室を探し、通い始めたのだった。
ダンスを始めてから、1年半後くらいだろうか。

そう、はじめは、
バレエに、さほど興味はなかったのだ。
ダンスが上手くなるためのもの、
でしかなかったから。

バレエ自体、あまりよく知らなかったし、
大人クラスのレッスンを見学しても、

「ふ~ん、こんなもんかあ~~。」
くらいにしか、思わなかった。
中級クラスのレッスン内容だったけれど‥

でも、昼間の大人クラスは、
その時間帯だけだったから、
レッスンを受けるには、そのクラスしかなかった。

実際は、入ってからが大変だった。

先生は、何を言ってるの?
どうして私は、みんなと同じように出来ないんだ?
片足や爪先立ちになると、何でこんなにフラつくんだ?

等々、実際にレッスンを受けると、
わからない、出来ないことばかり。

先生は、パやアンシェヌマンを組む時にも、
いちいち、かみ砕いて日本語でなんかで説明しない。
私には、先生の言ってることすら、わからない。

なんとか見よう見まねで、
前の人の真似をするだけで、精一杯だった。

ダンスをやっていたのが、少しは救いになったのか
フロアーでの立ち往生だけは、
しなくてすんだが、冷や汗ものの初レッスンだった。

焦った私は、最初のレッスン後に、すぐに本屋に立ち寄り、
バレエ用語の説明本を、買ったのを覚えている。

それでもバレエを軽く見ていた私。

「バレエを1年くらい続ければ、
 なんとか出来るようになるでしょ。」

ダンスサークルのバレエ経験者に、
以前、私が言った言葉だ。

今思うと、勘違いも甚だしい。
当然のこと、彼女は答えに詰まっていた。

続く


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